2009.02.19 Thursday

日本の富豪1位、ユニクロの柳井氏 米誌フォーブス

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    以下のニュースが気になった。



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     【シンガポール支局】米経済誌フォーブス・アジア版は19日、2009年版の「日本の富豪40人」を発表した。カジュアル衣料品専門店「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの柳井正社長が初めて首位になった。資産額は61億ドル(約5700億円)で、前年に比べ14億ドル増え、6位からトップに上昇した。
     上位40人の資産額は計695億ドルで前年(899億ドル)に比べ23%減少した。株価が大幅に下落し、円高にもかかわらずドル建ての資産が目減りした。富豪40人のうち資産が前年より増えたのは、柳井氏を含め4人だけだった。
     昨年首位だった山内溥任天堂相談役は資産額を78億ドルから45億ドルに減らし、3位に後退。資産10億ドル以上の富豪は昨年の29人から20人に減った。 (19日 22:04)
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    うーむ。とうとう柳井氏がトップに躍り出たか。
    中高生のころユニクロといえば小遣いでも買える服のお店として鹿児島の片田舎でも重宝していたものだったが、コモディティのビジネスは拡大するとここまでいくといういいお手本だと思う。世界不況はこれからも続くし、ユニクロの勢いはまだまだとまらないだろう。
    2008.04.15 Tuesday

    ビジネスは「真善美」「志誠一貫」「スピード」が大事

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      前々から気になっていた社長TVを見てみた。

      尊敬する高校の大先輩である郡山さんデジハリ社長の藤本さんの内容も非常にためになったが、

      音楽レーベルのエイベックスを作り上げ、
      現在映画会社のGAGAの会長も務める、
      コンテンツ業界の大御所であるティーワイリミテッドの依田会長も出ていた。

      「現在はかつてと比べて非常に安い初期投資でいろいろなビジネスが出来る、知恵の勝負の時代になっている。」
      「そこに挑戦して成功するには、アイデアとスピードが命。」
      という話に感銘を受けた。

      スピーディに物事を考え動き、仕事を仕事という概念すら持たないくらいに楽しんで実行するべきだとのこと。
      ただし、名句マネーだけではなく「真善美」と「志誠一貫」も忘れず、と。

      そういう仕事・環境を見つけられないのなら、
      自ら作りだすしかないなぁと妙に納得した。

      そしてアイデアがあっても動き出せない人を尻目に動き出し、
      さまざまな失敗で途中であきらめる人を振り切ってやり続け、
      最後までやり遂げた人が成功するのだなぁと、しみじみ思った。

      21世紀の日本を元気にする 尊敬できる社長が語る 無料ブロードバンドテレビ 【社長TV】
      2008.04.14 Monday

      スティーブ・ジョブズの偉大なるスピーチ(和訳)

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        前回のBlogで原文を載せたが、
        公式な和訳も載せておこうと思う。

        何度読んでもすばらしい。

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        PART 1. BIRTH

         ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

         本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

         私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。



         私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。

         しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

        PART 2. COLLEGE DROP-OUT

         こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。

         そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

         夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

         しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。
         ひとつ具体的な話をしてみましょう。

        PART 3. CONNECTING DOTS

         リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。

         セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

         こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

         もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

         もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。

         そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
         もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

        PART 4. FIRED FROM APPLE

         2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

         私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

         自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

         自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

         ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

         その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

         それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
         ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

         思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

         アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

        PART 5. ABOUT DEATH

         3つ目は、死に関するお話です。

         私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

         自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

         君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。
                      
        PART 6. DIAGNOSED WITH CANCER

         今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

         医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。

         それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

         私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

         これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

         以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

         君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

        PART 7. STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

         私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

         それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

         スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

         最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」

         それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

        Stay hungry, stay foolish.

        ご清聴ありがとうございました。

        the Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios
        翻訳 市村佐登美 satomi@mediaexpress.org
        2008.04.14 Monday

        座右の銘「I stilll love what I did.」

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          尊敬してやまないスティーブ・ジョブズのスピーチ。
          業務中にもかかわらず読み込んでしまい、
          思わず感激してしまった、

          「点と点をつなぐ。」
          まさに、自分のことを言ってもらっているかのような気持ちである。

          高校での文型・理系選択、大学でのさまざまな好奇心、
          新卒で外資系企業に入るも、自分の打ち込める仕事を模索し、
          休職、転職、大学院、などさまざまなことを行なってきたが、
          傍から見ればその全てに一貫性がない。

          しかし、このスピーチを読むと、
          自分の行なったことを愛し、没頭できる仕事を見つけ、
          過去の点と点をつなぐことが人生をよく生きることだと教えてくれる。

          これからも、死を迎えるその瞬間まで
          迷ったときはこれを読み返して奮起していこうと思う。

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          Stanford Report, June 14, 2005


          You've got to find what you love.「あなたの好きなものを見つけなさい!」
          I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world.
          世界で最もすばらしい大学の一つの卒業式であなた方とご一緒できることを光栄に思います。
          I never graduated from college.
          私は大学を卒業したことがありません。
          Truth be told, this is the closest I've ever gotten to a college graduation.
          実を云うと、これが私が経験した大学の卒業に最も近い体験と云うことになります。
          Today I want to tell you three stories from my life.
          今日は、私の人生から、3つのお話をしようと思います。

          That's it. No big deal. それはどうってことはないですよね。
          Just three stories.たった3つの話ですから。
          The first story is about connecting the dots.最初の話は、点と点をつなぐことです。
          I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit.
          私は、リード大学を6ヶ月でドロップアウトしましたが、本当にやめてしまうまで、18ヶ月かそこいらはもぐりの学生として居残っていました。
          So why did I drop out? で、何故やめたのかって?
          It started before I was born. それは、私が生まれる前にさかのぼります。
          My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption.
          私の生みの母は、若い、未婚の院生で、私を生んだら養子に出すと決めていました。
          She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife.
          彼女は、私を大学卒業した人に養子にして貰おうと強く思っていましたので、ある弁護士夫婦が誕生時に私を養子にする手はずがすべて整っていたのです。
          Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl.
          だが意外にも、私がポンと出たとたん、彼らは、本当はは女の子がほしかったと、ぎりぎりの瞬間に決めてしまったです。
          So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: "We have an unexpected baby boy; do you want him?"
          そこで、私の両親は、養子縁組待ちのリストの家に夜中に電話をかけたのです。「予定外の男の子が生まれたんですけど、欲しいですか?」
          They said: "Of course." 彼らは云いました。「もちろんですとも」
          My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school.
          私の生みの母が後でわかったことなんですけど、私の母親は、大学も出ていなければ、父親は、高校も卒業していなかったのです。
          She refused to sign the final adoption papers.
          そこで、彼女は、最終養子縁組の書類のサインを拒みました。
          She only relented a few months later when my parents promised that I would someday go to college.
          彼女は、私の両親が私を大学に行かせると約束して2・3ヶ月後に折れました。
          And 17 years later I did go to college. そして、17年後に大学に行ったのです。
          But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition.
          しかし、何も知らないで、スタンフォード並みの高い学費の大学を選んでしまったので、労働者階級の両親は、蓄えは、私の学費に消えていくんです。
          After six months, I couldn't see the value in it.
          6ヶ月後、大学にいることに価値を見いだせませんでした。
          I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out.
          私は、私の人生で何がやりたいか全くわからないし、私がそれを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかもわからなかったのです。
          And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life.
          なのに、ここで私は、両親が全生涯をかけて貯めたお金すべてを使っている。
          So I decided to drop out and trust that it would all work out OK.
          そこで、私は退学して、すべてはうまくいくと信じることに決めたのです。
          It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made.
          その当時は、非常に怖かったが、後で振り返って私が今まで行った最良の決断の一つであったといえます。
          The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked interesting.
          ドロップアウトした瞬間から、興味のない必須科目をとるのを止め、そして、興味ありそうな科目をとり(不正聴講)始めたり。
          It wasn't all romantic. でも夢のようなことばかりではなかった。
          I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms, I returned coke bottles for the 5¢ deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple.
          私は、寮に自分の部屋がなかったので、友達の部屋の廊下で寝たりした。食費を稼ぐのにコーラ瓶を5セントで返しに行ったり、日曜の夜は、クリシュナ教の寺院で食事を貰いに7マイルも町を抜けて歩いていったりしました。
          I loved it. それが好きだったんです。
          And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on.
          私の好奇心と直感の赴くままに転げ込んだ多くの事柄が、後になって、値段の付けられないものに変わったといえます。
          Let me give you one example:一つの例を申し上げましょう。
          Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country.
          リード大学は、当時は、国内では最高のカリグラフィ(飾り文字)教育を提供していました。
          Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed.
          あらゆるポスター、各戸棚に貼るラベルにたるまでキャンバスには、美しい手書きのカリグラフィが施されていました。
          Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this.
          私は退学していて、普通の授業は受けられないので、カリグラフィをどうやって学ぶか、その授業をとることに決めたのです。
          I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great.
          セリフ(欧文活字のひげ飾り)やサンセリフの書体、活字の組み合わせで字間を変えたり、素晴らしい印刷活字(フォント)の作り方などを勉強しました。
          It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.
          それは、美しく、歴史的で、科学では捉えられない芸術的に微妙なもので、実に面白いことがわかったのです。
          None of this had even a hope of any practical application in my life.
          この様なことは、何も私の人生における実際的な活用に見込みを持ったものではありませんでした。
          But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me.
          しかし、10年後、マッキントッシュ・コンピューターを設計する時にそれは私によみがえったのです。
          And we designed it all into the Mac.
          わたくしたちは、すべてをマックに組み込みました。
          It was the first computer with beautiful typography.
          それは、美しい活字を持った最初のコンピューターでした。
          If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts.
          もし私が、大学のこの単一のコースに寄り道していなかったならば、マックは複数書体も入っていなかったり、字間調整フォントも無かったでしょう。
          And since Windows just copied the Mac, its likely that no personal computer would have them.
          ウインドウズは、単なるマックのコピイですので、そのようなパソコンは無かったようです。
          If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do.
          もし私が、退学していなかったら、このカリグラフィの授業をを受けていなかったであろうし、パソコンも今あるように素晴らしい活字を搭載していなかったかもしれない。
          Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college.
          もちろん、私が大学にいた頃は、先を見て点と点を結ぶことは不可能でありましたが。
          But it was very, very clear looking backwards ten years later.
          しかし、それは、10年後を振り返ってみると非常にはっきりとしています。
          Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards.
          もう一度云います、あなた達は、先を見て点と点を結びつけることは出来ないけれども、過去を振り返ると繋げることが出来るだけなんだ。
          So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
          だから、あなた達は、将来、点どうしが何らかの形でつながってくることを信じるべきなんだ。
          You have to trust in something - your gut, destiny, life, karma, whatever.
          あなた達は、自分の根性、運命、人生、カルマ、何でも良い、とにかく信じること。
          This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.
          このアプローチは、私を裏切ったことはなく、私の人生においてのすべての違いをもたらしたのである。。

          My second story is about love and loss. 私の第二のお話は、愛することと失うものについてであります。
          I was lucky ? I found what I loved to do early in life.
          私は幸運でした? 私は、人生で早い段階でしたいことを見つけました。
          Woz and I started Apple in my parents garage when I was 20.
          ウオズ(Steve Wozniac )と私は、私が二十歳の時、両親のガレージで、アップルをスタートしました。
          We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4000 employees.
          われわれは、一生懸命に働き、10年間で、ガレージでの2人の会社から、従業員4000人、20億ドル企業に成長しました。
          We had just released our finest creation - the Macintosh - a year earlier, and I had just turned 30.
          私たちが、最高の創造物ーマッキントシューをリリースし、丁度1年前、私は、丁度30歳になったところでした。
          And then I got fired. そこで、解雇されたのです。
          How can you get fired from a company you started?
          あなたが立ち上げた会社からどうして追い立てられたの?
          Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well.
          そうです。アップルが成長したので、私と一緒に会社をやってくれる非常に有能な人を採用し、最初の1年そこそこはうまくいった。
          But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out.
          しかし、われわれの未来に対するビジョンに亀裂が生じ始め、結局は、崩壊したのです。
          When we did, our Board of Directors sided with him.
          私が決めた時、取締役会は彼の側につきました。
          So at 30 I was out. そして、私は30歳そこそこで、失職したのです。
          And very publicly out. これは知れ渡っていることです。
          What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.
          私の全人生の焦点であったものが、消えてしまい、それは我慢のならないことでした。
          I really didn't know what to do for a few months.
          私は、本当に、二三ヶ月は、何をしようとも思いませんでした。
          I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down - that I had dropped the baton as it was being passed to me.
          私は、前の世代の企業家たちを失望させたと感じました。それは、自分に渡されたバトンを落としてしまったという思いです。
          I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly.
          私は、ディビッド・パッカード(HPの創業者の一人)とボブ・ノイス(フェアチャイルド半導体とインテルの共同創業者)に会いました。
          そして、最悪に台無しにしたことをお詫びしようとしました。
          I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley.
          わたしは、非常に知れ渡った失敗者であったので、シリコンバレーから去ろうと考えたことさえありました。
          But something slowly began to dawn on me — I still loved what I did.
          しかし、私には何かがゆっくりと見え始めました。私は、まだ、私のやった仕事が好きでした。
          The turn of events at Apple had not changed that one bit.
          アップルでの変事でもその気持ちをいささかも変えることはありませんでした。
          I had been rejected, but I was still in love. And so I decided to start over.
          振られても、まだ、好きなんです。そして、始めてみようと決めたのです。
          I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me.
          その時は、判らなかったのですが、アップルから追い出されたことが、私が経験することができた最良の出来事であるという風に変わったのです。
          The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything.
          成功していることの重みが、再び、すべてに対して確かでないという、初心者の軽さに置き換わったのです。
          It freed me to enter one of the most creative periods of my life.
          私の人生の最も創造的な期間の一つに入れる自由を持ったのです。
          During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife.
          次の5年間は、NEXT社、もう一つは、Pixar 社をスタートさせ、私の妻となる素晴らしい女性と恋に落ちました。
          Pixar went on to create the worlds first computer animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world.
          ピクサー社は、トイ・ストーリーという最初のコンピューターアニメーション映画を作り、今や世界で最も成功したアニメーションスタジオになっています。
          In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT, I retuned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance.
          思いがけない事で、アップルは、NEXT社を買収し、私は、アップルに戻ってきて、NEXTで開発した技術は、現在のアップルの改革の心臓にあります。
          And Laurene and I have a wonderful family together.
          そして、ローレンスと私は、素晴らしい家庭を築いてきました。
          I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple.
          アップルを追い出されていなかったら、この様なことが起こっていないと断言できます。
          It was awful tasting medicine, but I guess the patient needed it.
          ひどい味の薬でしたが、患者には必要だったのですね。
          Sometimes life hits you in the head with a brick. Don't lose faith.
          時々、人生は、あなたの頭を煉瓦で殴るようなことをします。だけど、信念を失ってはいけない。
          I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did.
          私が続けてこれたたった一つのことは、私のやったことが好きだからと断言します。
          You've got to find what you love.
          みなさんも、自分の好きなことを見つけなきゃいけない。
          And that is as true for your work as it is for your lovers.
          それは、仕事に対しても、恋人に対しても同じです。
          Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work.
          あなた方の仕事は、人生の大部分を占めていくだろうけど、本当に満足できるたった一つの方法は、あなた方が素晴らしい仕事と信じられることをすることです。
          And the only way to do great work is to love what you do.
          偉大な仕事をする唯一の方法は、あなたのする仕事を愛することです。
          If you haven't found it yet, keep looking. Don't settle.
          まだ見つからないなら、探し続ければよい、止まってしまってはいけない。
          As with all matters of the heart, you'll know when you find it.
          心の問題と同じように、見つかればすぐ判ります。
          And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on.
          大きな恋愛関係と一緒で、年をとるほど良くなっていくものです。
          So keep looking until you find it. Don't settle.
          だから見つかるまで探し続けること、止めてはいけません。

          My third story is about death.私の第3のお話は死についてです。
          When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right."
          私は、17歳の時、「もしあなたが、今日が最後の日だと毎日思って生きているとすれば、きっと、ある日、あなたは、確かにひとかどの人物になるであろう。」
          It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself:
          "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?"
          この言葉は、私に強い印象を与えました。その時以来、過去33年間、私は毎朝、鏡に向かって、自分に尋ねています。
          「今日が私にとって最後の日であったら、自分が今日やる予定のことを、やろうと望んでいるのであろうか?」
          And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.
          答えが、Noが幾日も続くと、私は何か変える必要があると悟るわけです。
          Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life.
          私がまもなく死ぬであろうことを思うことは、私がこれまで人生で大きな選択に迫られた時の非常に重要な手段である。
          Because almost everything ? all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important.
          というのは、ほとんどすべてのもの、外部からの期待のすべて、プライドのすべて、屈辱あるいは失敗への恐れのすべて、・・こういったものは、死に面した時、消え去ってしまうものだからです。
          Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose.
          あなたが死のうとしていると思うことは、あなたが何かを失ってしまうのではと思う罠を抜け出すための私が知っている最良の方法です。
          You are already naked. あなた方は、すでに裸なのです。
          There is no reason not to follow your heart.自分の心のままに従ってはいけない理由など全くありません。
          About a year ago I was diagnosed with cancer. 私は、1年ほど前、ガンと診断されました。
          I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas.
          朝の7時半にスキャンしましたが、私のすい臓に腫瘍がくっきりと映っていたのです。
          I didn't even know what a pancreas was.私は、すい臓が何かも知りませんでした。
          The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months.
          医者たちは、これは、ほとんど確かに、治療不可能なタイプのガンです、3ヶ月か6ヶ月しか生きられないでしょうと云いました。
          My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctor's code for prepare to die.
          私の医者は、私に家に帰って、私の仕事を片づけるようアドバイスしました。それは、医者の死への準備をしろというコードなのです。
          It means to try to tell your kids everything you thought you'd have the next 10 years to tell them in just a few months.
          それは、あなたがこの先10年間に子どもたちに云っておきたいと思うことを、ここ二三ヶ月の間に全部云っておくようにということでした。
          It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family.
          それは、あなたの家族に対して出来るだけ楽になるように万事成し遂げよということなのです。
          It means to say your goodbyes.それはつまり、さよならを告げると云うことなのです。
          I lived with that diagnosis all day. 私はその診断を一日中もって過ごしました。
          Later that evening I had a biopsy, where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach and into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor.
          夕方遅くなって、私は、バイオプシー(生検)を受けたのです。そこでは、内視鏡はのどから胃を通って、腸内に入り、針を私のすい臓に入れて、腫瘍の細胞を採取しました。
          I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery.
          私は、鎮静剤で平静でしたが、妻は、そこにいたのですが、医者たちが顕微鏡下の細胞を見たとたん泣き始めたと私に云ってくれました。それは、外科で治療可能なごくまれな形態のすい臓ガンであることが判ったからです。
          I had the surgery and I'm fine now.私は外科手術を受け、今も元気です。
          This was the closest I've been to facing death, and I hope its the closest I get for a few more decades.
          これは、私が死に直面した最も最近の経験ですが、これから先、二三十年経ってもこれが最後に願いたいものです。
          Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept:
          No one wants to die.
          それを通して生きたから、今や、ちょっとは確信を持って言えるんだが、死は意識すると有益だが、純粋に頭の中の概念でしかなかったということです。誰も死にたくはないですよね。
          Even people who want to go to heaven don't want to die to get there.
          天国へ行きたい人でもそこへ行くために死にたくはない。
          And yet death is the destination we all share.
          でも、死はわれわれすべての終着点なのだ。
          No one has ever escaped it. 誰だって、それから逃れられない。
          And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life.
          そして、そうあるべきなんです。なぜなら、死は、生の単一の最高の発明品だから。
          It is Life's change agent. It clears out the old to make way for the new.
          それは、生の変化を起こす代行者であり、新しいものを作るために古きものを消すのです。
          Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away.
          丁度今、新しいものはあなた方であり、しかし、いつか遠くない将来、あなた方は、古くなりそして消え去られる日が来る。
          Sorry to be so dramatic, but it is quite true.ドラマチックな言い方ですまないけど、それは全く真実なのです。
          Your time is limited, so don't waste it living someone else's life.
          あなた方の時間は限られているので、誰か他の人生を生きて、無駄をすべきではない。
          Don't be trapped by dogma - which is living with the results of other people's thinking.
          他の人々の考え方と共に生きていくというー教条にとらわれる必要はない。
          Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice.
          あなたの心の中の声を他人の意見の騒音の中にかき消されないようにしなさい。
          And most important, have the courage to follow your heart and intuition.
          そして大切なことは、あなたの心や直感に従う勇気を持ちなさい。
          They somehow already know what you truly want to become.
          そうしたわけか、それらは、あなた方が本当になりたいことを、すでに知っているのだ。
          Everything else is secondary.それ以外のすべてのことは二の次でよい。

          When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation.
          私が若かった頃、「全地球カタログ」という私の世代のバイブルの1つのような驚くべき出版物があった。
          It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch.
          それは、スチュアート・ブランドという男が、ここから遠くないメンローパークで制作したもので、彼は詩的なタッチで命を吹き込んでいました。
          This was in the late 1960's, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and polaroid cameras.
          この時代は、60年代後半、パソコンやデスクトップ印刷がでる前で、すべて、タイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていました。
          It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: it was idealistic, and overflowing with neat tools and great notions.
          それは、35年前に戻って出されたグーグルのペーパーバック版ともいうべきもので、理想に燃え、身近なツールや素晴らしい概念であふれていました。
          Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue.
          スチュアートと彼のチームは、「全地球カタログ」を何度か出版し、それからそのコースを走りきってしまい、彼らは最終版を出しました。
          It was the mid-1970s, and I was your age. それは、70年代の半ば頃で、私はあなた方と同じ年でした。
          On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous.
          最終版の裏表紙には、もしあなたが冒険好きならば、ヒッチハイク上で出くわすかもしれないようなまだ朝早い田舎道の写真がありました。
          Beneath it were the words: "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off.
          写真の下には、「ハングリーであれ、馬鹿であれ」と書かれていました。それらは、彼らが断筆する際のさよならのメッセージでした。
          Stay Hungry. Stay Foolish. ハングリーであれ、馬鹿であれ。
          And I have always wished that for myself. そして、私は、私自身そうありたいと望んできました。
          And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.そして今、卒業して新たな人生を始めるにあたって、あなた方にそれを望みたい。
          Stay Hungry. Stay Foolish.ハングリーであれ、馬鹿であれ。
          Thank you all very much.ありがとうございました。


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          This is the text of the Commencement address by Steve Jobs, CEO of Apple Computer and of Pixar Animation Studios, delivered on June 12, 2005.
          2007.10.30 Tuesday

          光陰如箭

          0
            本日のお題、「光陰矢の如し」「Time flies」
            何を思って気付いたかというと・・・

            ワールドシリーズがいつのまにかボストンンレッドソックスの4連勝によって
            終了していたということ。

            西武の松坂が、鳴り物入りでメジャーリーグに入っただけでなく
            あっというまにワールドシリーズの勝利投手になり、
            そのままワールドチャンピオンの一員となったというニュースを見てから。

            ちょっと前に甲子園で横浜高校で活躍していた気がするのに、
            特にこの一年は早かったなぁという感じ。

            ふと振り返ると、いつのまにか成長が鈍化して(止まって?)
            三十路になっている自分もいる。

            光陰矢の如し、
            今年もあとわずか、
            そしてぼやぼやしているとあっというまに死がやってくる。

            どこかの番組で武田鉄矢が話していたが、
            生と死は不可分で、二つの字を合わせると
            上に幹と葉が茂り、下に根が張っているように見える。

            自分も日々死に近づいていることを忘れず、
            生きている限り精一杯「生」を全うしようと思う。
            2007.10.05 Friday

            La Mome〜エディット・ピアフ〜

            0
              piaf-2

              仕事後の夜でもやってるヒルズですごい伝記映画を見た。

              彼女がこよなく愛すシャンソン歌手「エディット・ピアフ」
              何度かCDを聞き、幼いころにもしかしたら聞いたことがあるような気がしていたこのシャンソン歌手の人生がこれほどすさまじいものだったとは知らなかった。

              ミュージックホールの客席デスクの高さのカメラから始まり、
              映画「パフューム」を思い出させるような極貧生活のパリが描かれ、壮絶なエディット・ピアフの人生が描かれていく。

              1915年に路上で生まれたと言われている典型的な下町生まれの娘、エディット。第一次世界大戦前後では沿う珍しいことでもなかったかもしれないが、貧しく苦しい人々の中で両親の愛情も受けず、最初からサバイバルのような人生。ともすればいつどこで死んでもおかしくない苛酷な環境の中、いくつもの奇跡が訪れ、生き延びていく。

              20世紀の大スターたちに見られるものすごく濃い人生。
              天賦の才能と努力、どん底からスターダムを上り詰め、最愛の人の事故死で、酒とドラッグにおぼれ転落する。

              いくつもの交通事故に会いながら生き延び、
              才能豊かな友人たちに囲まれて復活し、
              まるで魂を燃やし尽くすように歌を残し続け、
              47歳の短い人生を生き抜いた。

              芸術とは残酷なものである。

              強い人であればもっと長生きできる道もあったのかもしれないが、
              弱い人でありながら千載一遇のチャンスと努力と不幸とがあったからこそこれだけの歌を残せたのかもしれない。

              いい映画だった。

              piaf-1
              2007.05.11 Friday

              「スティーブ・ジョブズ 神の交渉術」

              0
                MacintoshというPCを見た頃から、スティーブ・ジョブズという名を聞いていたが、大学時代の99年に渡米してシリコンバレーを訪れ、Apple Computer社で「Think different」を見たときは「おおー、これかー」と思ったものだ。

                その後iMac,iBookのヒット、iPodの大ヒットを経て、iPhoneへとこの先も見逃せない行ける伝説経営者「スティーブ・ジョブズ」。


                この人の通史を見たことなかったので、ようやく手に入れたこの本でじっくりと読んでいるがまぁすごいことすごいこと。なにがすごいって、アメリカ人もびっくりの超自己中心、だれがやろうと成功は自分のおかげで自分だけのもの、失敗は自分が絡んでいても涼しい顔で人のせいにする。

                マスコミは徹底的に嫌い、利用できるところだけ利用する。
                恩人も出資者も社員もファンもすべて、自分が舞台の主役で居続けるために時に裏切ることになろうとも、とにかく利用しまくる。



                そのかわり、なにがあっても自分の意志を曲げず、徹底して軸をぶらさない。自分が作った会社を追い出されても、再起してネクスト社を創業し、経営が苦しくてもそれを漏らさず、ジョージルーカスが離婚騒ぎで売りに出したピクサーを買いたたき、強気の交渉でディズニーも説き伏せてピクサーに成功をもたらしのし上がる。

                その場面ごとの教訓がちりばめられているこの本はそこらへんの成功物語とは一線を画する。


                孤高の天才ジョブズはこんなスピーチを残している。
                『ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ』

                そして、本の最後にこんな一節がある。
                「今で満足していては、先へは進めない。常に新たな挑戦をするものだけがビジネスの世界で勝ち残る。
                 ジョブズの脅威の交渉術は、挫折のどん底にあってもチャンスを見いだし、成功の扉を開いてきた。わずか1000ドルあまりで始めた小さな事業を8000億円もの価値に高めたその交渉術のそこに脈打つものは、こうようやく出来よう。
                1.決してあきらめない不屈の信念
                2.世間の価値観に縛られない強烈な個性
                 なかなか余人には及びがたいが、ここに激動の時代を生き抜く見たいがあることは確かである。」


                ▼最新(2007年5月現在)の成功実績はこちら。
                http://d.hatena.ne.jp/HEAT/20070505


                ただし、この素養があっても日本では芽が出なかっただろうというところが
                、日本に住む私にとっては非常に残念なところではある。
                 自分がチャレンジする時が来たら、渡米するしかないだろうなぁ。
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